1993年オフ、チーム打率は.238と12球団最下位で貧打に泣いた巨人はFA宣言をした落合を獲得。そして94年、落合選手は巨人軍の4番に座り、巨人は日本一に輝きました。この年の落合選手の成績は.280 15本塁打 68打点と前年とあまり変わりはありませんでした。
翌95年、巨人はメジャーリーガーのマック、ヤクルトからFA宣言し移籍した広沢選手、ヤクルトを自由契約となったハウエル.前年67試合の出場ながら、.290 14本塁打をマークした原選手との豪華な4番争いが注目されましたが、.311と4年ぶりに3割をマークし、17本塁打 65打点の成績を残し4番争いを制しました。そして翌96年は中日野口投手に死球を受け戦列を離脱するまで、106試合で.301 21本塁打 86打点をマークしました。もし、怪我で離脱しなければ、25本塁打以上、100打点は記録できたかもしれません。巨人移籍後、40歳を超えながら年々成績を上げ、43歳でこの成績を残したことは特筆すべきことですね。
しかし、オフシーズンFA宣言した西武清原選手の加入の影響などで、落合選手は自由契約を求め、日本ハムに移籍します。シーズン当初は3割を維持していましたが、徐々に率を上げ、最終的には.262、本塁打もわずか3本と不本意なシーズンに終わり、翌98年も.235 2本塁打に終わり、現役を引退しました。
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